教科学習のページ・中学生の世界史

1 年代の表し方

みなさんこんにちは。歴史の内容は、小学校では日本の歴史を中心に学びましたが、中学では一部世界の歴史が入ってきます。高校ではさらに詳しくやりますが、中学ではまず世界の歴史について学ぶための基本的な知識を身につけ、理解を深めていきましょう。

中学生に向けての内容ですが、高校生や大人の人にとっても役に立つ内容があると思います。どうぞ参考にしてください。

まず歴史を学ぶ上で知っておいた方がいいことがいくつかあります。今日はその中の一つ、年代の表し方について学びましょう。

1-1 西暦

年代の表し方の中で最も基本的なものの一つが「西暦」と呼ばれるものです。今年は2024年ですが、この表し方の西暦と言います。

西暦の「西」はこの場合、「ヨーロッパ」を意味します。日本が開国した当時、多くの知識や学問をヨーロッパから輸入しました。それまで日本では、主に中国から輸入した「漢学」と呼ばれる知識を基本的な体系とした学問体系を持っていて、それに加えて江戸時代に日本のことを学ぶ学問、「国学」が発達しました。

ヨーロッパの学問は江戸時代には長崎で貿易を行っていたオランダから入手したため「蘭学」と呼ばれましたが、開国すると主にイギリスやアメリカから新しい学問が入ってきて英学とよばれました。当時の世界の列強諸国はヨーロッパの国々とヨーロッパ人が作ったアメリカだったので、世界地図の中で東に位置する日本や中国に対し、西に位置するヨーロッパを「西洋」と呼んだわけです。西暦の「西」とはこの「西洋」から来ています。

つまり西暦とはヨーロッパの暦という意味ですが、ヨーロッパではキリスト教が文化の中心になっていました。キリスト教会ではキリスト教で「神の子」とされたイエスが生まれたとされる年を紀元1年(元年)とする暦がつかわれていて、開国後は日本にもそれが入ってきたわけです。

つまり、今年はイエス・キリストが生まれた年を1年として2024年目にあたるということです。

ただし、実はキリストが生まれたのは現在では1年よりも4年前くらいではないかと言われています。(違う説もあります)紀元1年の前の年を紀元前1年と言います。ですからキリストは紀元前4年に生まれた、というよくわからないことになっているわけです。それはキリストの記録が聖書にしか書かれていないからで、年代を確定できないでいるということであるからです。

そういうあいまいな部分がある暦なのですが、現在ではほぼ世界的にこの暦が使われています。

歴史の学習では年代そのものを問われることもよくありますし、出来事を順番に並べ替える問題もありますから、年号の暗記は役に立ちます。特に、重要な年代はなるべく覚えて置くようにしましょう。

1-2 世紀

世紀とは英語でcenturyと言います。centとは100という意味です。(アメリカのお金の単位で1ドルの100分の1のお金を1セントというのも同じ意味です)つまり、1世紀というのは100年間という意味で、キリストが生まれてから最初の100年のことを1世紀としたわけです。

ですから1世紀は紀元1年から紀元100年、2世紀は紀元101年から200年になります。同じように、19世紀は1801年から1900年、21世紀は2001年から2100年ということになります。

日本の歴史で言えば後漢の皇帝から奴国王が「漢委奴国王」の金印を与えられたのが紀元57年ですから1世紀のこと、奈良、つまり平城京に都がうつされたのが710年なので8世紀のことということになります。それぞれの年代について何世紀なのか、言えるようにしておきましょう。

また1世紀より前は、紀元前100年から紀元前1年までが紀元前1世紀ということになります。紀元前は数が多いほど昔ということになりますから注意しましょう。

歴史では記録を重視しますが、記録が残っている一番古い時代はエジプトの紀元前3000年ごろ、つまり紀元前30世紀ごろになります。今は紀元21世紀ですから、合わせてだいたい5000年くらいが記録が残っている人間の歴史ということになります。

1-3 元号

西暦も世紀もヨーロッパから入った年代の数え方ですが、日本では元号で表す暦が使われていました。

元号は、日本では天皇が定めることとされていました。一番古い元号は645年に定められた大化という年号です。この年に中大兄皇子らが蘇我氏を滅ぼして改革を行ったので、元号にちなんでこのできごとを「大化の改新」と呼んでいます。

例えば奈良時代には聖武天皇の時代に「天平」という元号が使われ、その時代の文化は「天平文化」と呼ばれています。明治以降は天皇が即位するたびに新しい元号に変わり、(これを一世一元と言います)明治・大正・昭和・平成を経て現在は令和になっています。
江戸時代以前には天皇の即位だけでなく世の中が不安になったり地震や大きな事件が起こるたびに元号が変えられていました。明治天皇の前の孝明天皇の時代には弘化・嘉永・安政・万延・文久・元治・慶應と21年間に7つの年号が使われています。そのようなこともあり、日本史でも西暦が使われることが多いです。

もう一つよくつかわれたのが干支(えと)です。子・丑・寅・卯という十二支は聞いたことがあると思いますが、それに十干をくわえてあらわすのが干支で、甲子(きのえ・ね)からはじまり60年で一周します。例えば1924年に作られた野球場はその年の干支にちなんで「甲子園」と名付けられました。また1868年に起こった日本の内戦は、その年の干支にちなんで「戊辰戦争」と言われています。(戊辰(ぼしん)は「つちのえ・たつ」の音読み)

元号も干支も中国から伝わったものですが、元号が使われた東アジアの国々はみな皇帝や国王がいなくなったため、現在でも元号を使っているのは日本だけです。(台湾では辛亥革命が起こった1912年を元年とした「中華民国何年」という台湾暦が使われています。2024年は中華民国113年です。)

1-4 時代

時代の分け方には国や状況によっていろいろな分け方があります。例えば中国では古くからいくつもの王朝が興っては滅びたため、その王朝の名で時代をあらわすことが多いです。殷・周・秦・漢などの王朝の名で時代をあらわし、またその中でも例えば周の都のあった位置で西周と東周に、また東周の中でも前半を春秋時代、後半を戦国時代と呼んだりします。これは「春秋」という書物に書かれているのが春秋時代、「戦国策」という書物に書かれているのが戦国時代の名前の由来になっています。

日本の場合は、政治の中心のあった場所で時代を呼ぶのが一般です。飛鳥・奈良・平安(平安京)・鎌倉・室町(足利将軍家が京都の室町に屋敷を構えて室町殿と呼ばれたため)・安土桃山(織田信長の安土城・豊臣秀吉の伏見桃山城)・江戸はそれぞれの時代の政治の中心です。飛鳥より前は文化の名前を取り、縄文・弥生・古墳を時代名とし、明治以降は元号を時代名として用いています。

大正時代が15年足らず、安土桃山時代が30年しかないのに比べ、平安時代は400年近くあるので合理的でない面もありますが、中学の歴史の学習では時代名で行われるため、時代の名前と順番はしっかり覚えておきましょう。

第1回の学習内容は以上です。