□学習うらばなし□
勉強はつまらない、そう思っていませんか? それはまだ、本当の学習の面白さを知らないからかもしれません。
このコーナーでは、学習にまつわる興味深い話や面白い話を取り上げていきたいと思います。
第一回は「くだらない話」です。
□1 くだらない話 □
「くだらない」という言葉を知っていますね。辞書を引くと、「まともに取り上げる価値がないこと、つまらないこと」などと出ています。それでは、なぜそれを「くだらない」というのでしょうか。実はこの言葉は江戸時代からあるのです。(式亭三馬という人の書いた『浮世風呂』という黄表紙(滑稽な小説のようなもの)に出てきます)
電車に乗ると、「上り」と「下り」がありますね。東京の方向に向かう電車を上り、東京から離れる方向に向かう電車を下りといいます。上諏訪からだと新宿方面が上り、岡谷・松本方面が下りです。
これは、現在の日本の首都は東京なので、東京が一番上と考え、そこに向かうのが上り、そこから離れるのを下りと表現しているのです。
しかし、昔から日本の首都は東京だったわけではありません。東京が首都になったのは明治時代からです。それまでは都は京都にありました。ですから江戸時代は、京都に向かうのが上り、京都から離れるのが下りだったのです。『上京』といえば今は東京に行くことですが、江戸時代までは京都に行くことでした。『上京』は『上洛』ともいい、戦国時代のドラマを見ていると、織田信長や武田信玄が「上洛」を目指して争っていたことが出てきます。(ちなみに「洛」とは中国の都市「洛陽」のことで、今から2000年ほど前に都が置かれていました。)
江戸時代には京都とその近くの大阪(当時は大坂)を含めて『上方(かみがた)』と呼びました。京都は現在でも多くの手工芸品が作られています。修学旅行などでお土産に買った人も多いでしょう。また「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という言葉がありますように、現在でも京都は西陣織を始めとする着物産業の中心地です。ついでですが、大阪は食文化の中心地の一つです。2008年にはその名も『くいだおれ』という店が閉店し、人気を集めていた店頭の「くいだおれ太郎」という人形がどこに行くのかが話題になっていますね。
江戸時代にも、京都の手工芸品は人気の的でした。各地の大名も京都で豪華な美しい着物や雛人形を手に入れることを楽しみにしていましたし、お酒も京都の近くの伏見や伊丹、灘の酒が上等とされていました。そういうものは江戸では「下りもの」と呼ばれていたのです。京都・上方から陸路や船ではるばる江戸まで「下ってきた」ものが上等のものだとされていたのです。(上方から江戸にお酒を運んだ船が「樽廻船」です。中学の歴史で習いますね。)
それに対し、江戸の近辺、関東地方で作られる着物やお酒、手工業品などは一段低いものと見なされていました。上等な「下りもの」に対して、地元のものは取るに足りないもの、価値のないものと見なされていました。「下りもの」でないものは「下らないもの」とみなされていたのです。
今では関東の着物も結城紬(ゆうきつむぎ)をはじめとして高級品がたくさんあります。またお酒も上方の酒よりも各地の地酒が評判になっています。諏訪市にも5つの酒造会社があります。銘柄で言うと真澄、麗人、本金、横笛、舞姫です。(現在でも大きなメーカーは灘の会社が中心なのですが)ですから京都のものに比べて地元のものの方がずっと劣る、という考えは薄れてきています。(今では東京から京都に向かうのは下りになりますし。)
しかし江戸時代に定着した「くだらない」という言葉は、時を越えて現在でも使われているのです。もうみんななぜ「くだらない」というのか分らなくなってしまっているのに。
言葉というものは不思議ですね。
「くだらない話」でした。